『この動画は、私自身へのエールです』

 

清酒・浜娘は大槌町の地元社員と私の家族で心を込めて醸していたお酒でした。

昼は社員が仕込んで、夜は妻と二人の娘に手伝ってもらい麹の仕舞い仕事をし手をかけて醸していました。

 

3月11日、親戚、友人、酒蔵、住まい、見慣れた大槌町の町並み、そして、家族の笑顔・・・。

 

すべて失いました・・・。

 

震災直後、焼け焦げ転がっている貯蔵タンク、原型のない潰れた醸造機械、建物も無い、何もない。これからどうする?

廃業も考えました。仕事を見つけに職安にも行きました。幾つもの眠れない夜が続きました。失望・・恐怖・・不安・・。

 

そんな私に勇気をくれたのが、仲間の声でした。

そして、「浜娘」を買っていただいていたお客様でした。

 

「秀、がんばれ!」「また浜娘が飲みたい!」「古ちゃんなら大丈夫だ。出来る!」

「再開したら赤武酒造を会社を上げて全面的にバックアップする!」

「机、持って来たョ 使って!」

 

失ったものは大きい。でも私には仲間がいる!

 

 心の真ん中に、決めました。

 

「もう1度、酒蔵をこの大槌の地で再興しよう!」

「家族の笑顔を取り戻すために酒を造ろう!」

 

私の酒造りの師匠「南部杜氏 押切義昭」は

「良い酒を造るには手間を掛けなければならない」

「妥協しないで手を掛けろ」

子供を育てるように「寒かったら暖めてやれ。」「熱かったら冷やしてやれ」何度も見てやれ。そしたら元気なモロミに育つ。

 

今年、誕生する「清酒浜娘」は私の三女として育てます。

玉のような元気なお酒に育てます。

 

何歳で大槌町に戻れるか解りませんが、私の三女「浜娘」の成長を見守っていただければ幸いです。

 

大槌町は負けない!

赤武酒造は負けない!

 

 

                          赤武酒造㈱ 代表 古舘 秀峰

 

 


赤武酒造は、岩手県沿岸の大槌町という、海と山に囲まれたところにあります。

 

しかし、3月11日に東日本大震災の三陸を襲った大津波により、酒蔵と、隣接する会社事務所が流され、壊滅してしまいました。震災時、私は近くの高台に避難したため、難を逃れましたが、当日、蔵で火入れ準備を行っていた製造部門釜場担当の越田は、町の消防団員として直ぐに防波堤の扉を閉めに行き、消防屯所の鐘を叩き、町民に避難を誘導しました。震災後、無事を祈り懸命に捜したのですが、悲痛にも亡くなったことを知りました。

 

震災翌日の大槌町は、至る所で火災が発生し、大量の爆弾が落とされたような焼け野原の様で、至る所に焼け焦げた貯蔵タンクが転がり、原型のない潰れた醸造機械だけが目に入りました。現在は、自衛隊の方々にガレキを片付けていただき、自動車も通れるようになり自宅にも行ける様になりましたが、残ったのは玄関の床と子供の写真数枚。6棟あった蔵も全て流され、火災を受けた資材倉庫のみが形を成しています。

 

私の町、大槌町は町長をはじめ町職員30数名が不明になり行政が機能せず、復旧に向けて進めませんでした。3ヶ月が過ぎた今も亡くなった方、不明の方1,700名で、人口15,000人の町の9人に1人が犠牲になっています。叔父・叔母・姪・同級生、仲間も亡くなりました。町のみんながそうです。どうして、どうして、どうして…。悲しみ・怒り・苦しみだけが体の中に充満し、吐き出す出口がありませんでした。

 

この度の災害で、多くの皆様にお見舞い、励ましの言葉を頂き、深く感謝しています。皆様のおかげで「失ったものは大きいが新しいものを少しずつ創り上げて行く」勇気と希望が生まれました。この気持ちになるまで、時間がかかりましたが、現在は、町行政と共に大槌町復興を共有し合い、新しい赤武酒造を創り上げる事に従事しています。

 

今、私たちの手で新しい「浜娘」を醸す「赤武酒造復興計画!」を進めています。再建に向けて問題は山積していますが、一つ一つ山を乗り越えて道を創ります。

 

少しづつではありますが「赤武酒造」の情報発信をして参ります。

また、大槌町の現状、メッセージもお伝えいたします。

 

赤武酒造は負けない!

大槌町は負けない!

 

是非、震災前同様、ご支援、ご協力を賜りたくお願いいたします。

 

                                

                          2011.6.1 代表 古舘 秀峰